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オンライン家庭教師です。

ウクライナ通信④

ウクライナ戦争を考える時、プーチンとロシア人の心の在り方を考えるのが肝要です。

プーチン大統領サンクトペテルブルク生まれのロシア人です。

ロシアは、9世紀にノルマン人のリューリクが、ロシアの地に侵入し、ノブゴルド国を建国したのか始まりです。

ノルマン人はスラブ人を支配しながら、混血が進み、今のロシア人の元になりました。

SLAVEV(奴隷)と言う言葉は、スラブから来ています。

ノルマン人に奴隷化されたスラブ人と言う意味です。

ノルマン人の支配がいかに過酷だったか分かります。

13世紀に入ると、ノブゴルド国は、モンゴル帝国のバトゥにより侵略され、その支配を受けます。

この時代の過酷な支配は、タタールのくびきと言われます。

15世紀に入ると、イワン3世がモンゴルの支配を脱し、モスク大公国を建国します。

イワン3世は、東ローマ帝国の後継者を自認し、自らをツァーリ(皇帝)を名乗ります。

イワン3世は、隣国を征服して、今のロシアの基礎を築きました。

イワン3世の孫が、イワン4世です。

イワン4世は、イワン雷帝と呼ばれ、暴君として君臨しました。

余りにも強大な権力を握ったイワン4世が亡くなると、国の統治が難しくなります。

この混乱の中から生まれたのが、ロマノフ朝-ロシアです。

ロマノフ朝の初代のツァーリが、ミハイル-ロマノフです。 

このロマノフ朝が、ロシア革命が起こるまで、

300年の間、ロシアを支配することになります。

ロマノフ朝ロシアを、ヨーロッパの大国にしたのか、ピョートル大帝です。

ピョートル大帝は、首都をサンクトペテルブルクに定めました。

ピョートル大帝は、イギリスやオランダのような貿易立国を目指します。

しかし、ロシアには、不凍港がありません。

ピョートル大帝は、凍らない海を目指して、南に向かいます。

ロシアの南下政策の始まりです。

この考え方が、以後のロシアの揺るぎない国策となります。

ピョートル大帝は、バルカン半島を支配する、オスマン帝国との戦います。

黒海の北にあるアゾフ海は、ピョートル大帝が、が占拠しました。

ロマノフ朝ロシアのもう一人の英雄、エカテリーナ2世は、念願であった黒海に進出します。

その後、黒海バルカン半島をめぐって、露士戦争が、何度も繰り返されます。

ナイチンゲールが活躍するクリミア戦争も、露土戦争の一つです。

ロマノフ朝、ロシアを脅かす、歴史的な出来事が起こりました。

ナポレオン戦争です。

フランス革命

自由

平等

の精神を掲げて、ナポレオンがロシアに攻め入りました。

ロシアのクズーロフ将軍は、焦土作戦で対抗します。

食料を残さず、モスクワの街を焼き払って、住民が避難します。

モスクワの街入ったナポレオン軍の兵士には、暖を取る家も、食料もありません。

そこに、冬将軍が到来します。

たまらず、退却するナポレオン軍の兵士に、ロシア軍が襲いかかります。

結果的には、ロシア軍の勝利ですが、ロシア人の心に、西欧文明国の恐ろしさが刻み込まれました。

ナポレオン戦争と同じような経過を辿ったのが、大祖国戦争です。

第二次世界大戦中、ヒトラーが、ロシアに攻め込んできました。

迎え撃つスターリンは、

徹底抗戦を命じます。

ロシアにとっての大祖国戦争です。

歴史的は繰り返しました。

ロシアの寒波が、ヒトラー軍を追い返しました。

この大祖国戦争では、

二千万人以上のロシア人の命が奪われました。

ナポレオンとヒトラーを相手に戦ったロシア。

西から攻めてくる、西欧人とは、いかに恐ろしい生き物か。

ロシア人は、骨の髄まで味わいました。

西欧人は、何時、ロシアに攻め込んでくるか分からない。と言う疑心暗鬼が消えません。

ソ連時代の70年も、暗黒の時代でした。

国民の生活は、完全に管理され、反体制的な動きをすれば、強制収容所送りとなります。

スターリンクの政敵は、大量粛清が待っていました。

プーチン大統領は、そんなソ連の秘密警察、KGBのエリートです。

こうして、ロシアの歴史をみると、あることが分かってきます。

①ノルマン人により、SLAVE(奴隷)とされた時代

②モンゴル人による、

タタールのくびきの時代

③ナポレオンに攻め込まれた時代

ヒトラーとの、大祖国戦争の時代

⑤密告、暗殺、大粛清がか支配した共産主義国家、ソ連時代

共通して流れる感情は、ルサンチマンです。

常に、怨念、恨み、復讐心が根底にあります。

未だにプーチンの戦争を支持するロシア人には、このルサンチマンがあります。

ロシア人の西欧文明国へのルサンチマンが、混乱したロシアを立て直したプーチンにしがみつくしかないのです。

理屈では説明できません。ロシア人のルサンチマンがなせる技なの

一方、ウクライナでは、9世紀にキエフ公国が建国されます。

キエフ公国は、ビザンツ帝国との交流を深め、ギリシャ正教を受け入れます。

このキエフ公国は、ウクライナの起源です。

モンゴル帝国のバトゥに蹂躙され、国が消滅します。

その後、ウクライナは、ポーランドリトアニアの支配を受けます。

ポーランドは、ウクライナカソリックを強要することで、しはいをつよめます。

その支配は、タタールのくびきと言われ、大量殺戮を含む過酷なものでした。

15世紀、イワン三世は、このモンゴル支配からの脱出を図り、モスクワ公国を建国します。

イワン雷帝(イワン四世)が、ツァーリを名乗り、モスクワ大公国の権威を高めます。

残虐なけとして、有名です。

ロシアは、

13世紀に入ると、ウクライナモンゴル帝国に征服されます。