ウクライナ通信⑥
ウクライナは、他国に支配される歴史の繰り返しです。
13世紀、モンゴルの支配を受けます。
一方的な侵略で、タタールのくびきと言われます。
ギリシャ正教を受け入れていた、ウクライナ人にとっては、過酷な支配になりました。
18世紀に入ると、宗主国のポーランドが分割されて、地図上から消されてしまいます。
ポーランド領だったウクライナは、ロシアとオーストリアの支配下に組み込まれました。
ウクライナの東、約8割がロシア。
西、約2割がオーストリアです。
この時から、ロシアとウクライナの主従関係が始まります。
ロシアは、ウクライナは自分の国の一部と考えます。
ウクライナ語を禁じ、ロシア語の使用を強制します。
ウクライナの文化も、ロシア風に改められました。
当然、ウクライナ人は、何時の日かロシアから独立しようと考えます。
特にオーストリアに併合されたウクライナ人は、自分達は西ヨーロッパの一部と考え、独立の先頭に立ちます。
1914年、第一次世界大戦が起こると、ウクライナは独立を目指して、戦いを始めます。
この独立の動きを叩き潰したのが、レーニンのボルシェビキです。
ウクライナは完全に、ソビエト社会主義連邦の一部に、組み込まれます。
レーニンの後継者となったスターリンクは、モスクワ市民の命を守るため、ウクライナの穀物を強制調達します。
そのため、数百万のウクライナ人が餓死しました。
ソ連は、新五ヵ年計画の成功を声高に叫びますが、裏には、こんな悲劇がありました。
ホロドモールと言われます。
ナチスが、侵攻してきた時、ウクライナは東の親ロシア派と、西の親ナチス派に分裂します。
同じ民族同士の、悲惨な戦いでした。
戦後もソ連による、過酷な支配が続きます。
ゴルバチョフが登場して、世界史の流れが大きく変わります。
1991年、ソ連は解体し、ロシア、ベラルーシ、ウクライナは、独立を果たします。
ウクライナは、ロシアから離れ、ヨーロッパに近づこうとする動きを加速させます。
2004年、親欧米派のクーデターにより、ユシュチェンコが大統領になります。
オレンジ革命です。
オレンジのマフラーがシンボルマークでした。
ユシュチェンコの顔は、ダイオキシンにより、変形してしまいました。
2014年、親ロシア派が巻き返し、ヤヌーコビッチが大統領になります。
そこで、親欧米派の二度目のクーデター、マイダン革命が起こります。
親ロシア派のヤヌーコビッチ大統領をロシアに追放し、親欧米派のポロションコが、大統領に就任します。
そこで、ロシアのプーチン大統領が、クリミアに軍事介入し、制圧します。
同士に、ドンバス地方にも軍事介入し、その一部支配します。
ウクライナのゼレンスキー新大統領は、ドンバス地方の奪還を目指し、陰で動きを加速させます。
アメリカの軍事顧問団による、ウクライナ兵の軍事訓練や、最新式兵器の導入を進めます。
さらに、NATOへの加盟を急ぎます
この動きは、プーチン大統領の我慢の限界を越えました。
もし、ウクライナのNATO加盟を許せば、ロシアは袋のネズミです。
ウクライナと言う緩衝地帯を奪われ、ロシアの西側国境が、全線NATOと接することになります。
こうなると、ロシアは身動きがとれず、窒息してしまいます。
ロシアにはこれと言った産業が育たず、石油資源と軍事力のみが頼りです。
ロシアは、国の限界をさらけ出しました。
一方のウクライナは、千年に及ぶ歴史の、最大の転換点に立っています。
ロシアの自滅を待つのではなく、自力で戦局を転換する、底力は残っているのでしょうか?
NATOは何を恐れて、沈黙を保っているのでしょうか?
人は、世界中を敵に回しても、自分の正義に固執出来るのでしょうか?