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オンライン家庭教師です。

本能寺の変を考える。

日本史の謎の一つ。

本能寺の変

もし、本能寺の変が無かったら、豊臣秀吉徳川家康の時代はありませんでした。

秀吉は、織田政権の有力武将の一人であり、

家康は、織田家臣の有力大名の一つて、終わったはずです。

そういう意味では、明智光秀の歴史への貢献度は高いと言うか、罪は重いと言うか?

だから、歴史は面白いのです。

最大の謎は、何故明智光秀は、何故本能寺の変を起こしたのかです。

言い方を変えると、何が光秀に信長を殺させたか?

先に結論を言えば、その答えは、誰にも分かりません。

ひょっとすると、明智光秀も自分の心が分からないうちに、決行したのかも知れません。

逆に、織田信長には、光秀に命を狙われたことに、思い当たるふしがあったも知れません。

だから、歴史は面白いのです。

さて、本能寺の変の黒幕説から考えていきましょう。

良く言われるのが、

①朝廷黒幕説

豊臣秀吉黒幕説

徳川家康黒幕説

でしょうか?

①朝廷黒幕説

織田信長は、天皇は残すが、その取り巻きどもは要らない。

と考えていました。

立場の怪しくなった、朝廷の公卿達が、明智光秀に信長を殺させたと言うのが、朝廷黒幕説です。

しかし、全くあり得ない話です。

良く考えれば、当時の朝廷の後ろ楯など、明智光秀にとって、何の役にもたちません。

朝廷が権威を示せるのは、戦を仲裁する時だけです。

もし、明智光秀が権力を握ったら、朝廷から官位をもらって、箔ををつけようとするかも知れません。

豊臣秀吉黒幕説

良く言われるのが、豊臣秀吉は、事前に本能寺の変を知っていた。

たから、あんなに早く京には引き返し、明智光秀を撃てた。

と言うのが、豊臣秀吉黒幕説です。

しかし、これもあり得ません。

そもそも、明智光秀は京都に居ます。

豊臣秀吉は、毛利攻めで備中、高松に居ます。

二人が合って、相談できる余地は皆無です。

忍を使って、文でやり取りをして、こんな大事な意見のすり合わせは、出来ません。

合わせて、徳川家康黒幕説も、現実場馴れしています。

万が一、明智光秀徳川家康に密約があったとすれば、徳川軍が明智軍に加勢するはずです。

徳川家康は、ほうほうの体で、伊賀越えをしています。

黒幕説には無理があるようです。

では、何故明智光秀は、本能寺の変を起こしたのか?

私は、ある偶然が重なったと考えています。

この日(6月2日)、織田信長織田信忠親子が揃って京に、宿泊していました。

信長と、世継ぎの信忠が、手薄な兵に守られて、ごく近くにいました。

明智光秀は、秀吉の援軍として、備中に向かう途中です。

明智光秀は、神のお告げを聞いたのかも知れません。

こんな千載一遇の機会(チャンス)はない。

信長親子を一緒に葬れば、一気に天下は自分に転がり込む。

柴田勝家は、北陸。

豊臣秀吉は、備中。

滝川一増は、上野。

それぞれ敵を抱えているので、すぐには戻れない。

もし、ここで一気に畿内を制することが出来れば、天下に立てる。

そんな考えが頭をよぎっても、不思議はありません。

もちろん、

比叡山の焼き討ち

突然の領地替え

信長の過度の叱責

など、明智光秀の信長に対するストレスは、蓄積されていました。

そこに、又とないチャンスが待っていたのです。

神の差配と感じたとしても、致し方無いのかも知るはません。

本当のところは、魔が差した。と、言うべきでしょうか。

しかし、天は明智光秀に味方しませんでした。

光秀に信長殺す、大義名分がありませんでした。

主君殺しのレッテルを、張られることになります。

明智光秀が味方に出来ると、期待した与力大名の

細川藤孝

筒井順慶

が、傍観を決め込みます。

高山右近

中川清秀

は、勢いのある豊臣軍に加わります。

もし、計画的なクーデターだったら、この四人には、事前に協力要請をしていたはずです。

明智光秀は、単独で立ち上がりましたが、風か吹きませんでした。