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オンライン家庭教師です。

戦国の三英傑と戦後の総理大臣

戦国の三英傑

信長

秀吉

家康

この三人は、戦後の総理大臣の誰に例えられようか?

まず、織田信長から始めてみましょう。

一瞬で思い浮かんだのが

小泉純一郎

その人です。

なぜって、

全てが、喧嘩腰。

勝つか負けるか。

生きるか死ぬか。

まず、そんな二人の共通点は、

権威を全否定したことです。

信長は、足利義昭を追放して、室町幕府を滅ぼします。

更に、宗教的権威の象徴、比叡山延暦寺を灰にしてしまいます。

僧侶ばかりでなく、

女子供まで皆殺しです。

一方、小泉純一郎は、郵政選挙を強行します。

参議院郵政民営化法案が否決されると、衆議院を解散して、総選挙に打って出ます。

これは、

掟破りの逆さそりです。

否決したのは、参議院

解散したのは、衆議院

辻褄が合いません。

更に、小泉純一郎の怖いところは、郵政民営化に反対する自民党の議員に、刺客を送りました。

今の東京都知事

小池百合子

さんも、この時の刺客の一人です。

女刺客、クノイチと呼ばれました。

自民党の重鎮

亀井静香に送られた刺客が、ホリエモンです。

そうして、絶対的権威の自民党を壊そうとしたのです。

選挙戦では、

自民党をぶっ潰す。)

(私の政策に反対する勢力は、全て抵抗勢力。)

と叫んで、大勝しました。

二つ目の共通点は、経済政策です。

信長は、楽市楽座を行います。

楽市の楽は、規制緩和して、自由に市場で商売をすることです。

楽座は、特権を持つ組合を無くし、商売をしやすくします。

信長は、楽市楽座からの税を独り占めしました。

小泉純一郎も、信長と同じような経済政策を取りましす。

アメリカの新自由主義の考え方をそのまま取り入れました。

そして執念を燃やしたのか、

道路公団民営化と

郵政民営化

です。

竹中平蔵が旗振り役となりました。

とにかく、規制を無くし競争原理を導入すると、経済は活性化し、国は豊かになると考えました。

結果は、100円ショップが増え、派遣切りが横行しました。

その日の食料を求めて、長い行列が出来たのも、この時代です。

金融ビッグバンで、

失われた10年

と言われた日本経済は、

小泉純一郎の時代に

失われた20年

に突入するのです。

次に、

豊臣秀吉を総理大臣に例えると、誰でしょう?

簡単ですね。

田中角栄

しかいません。

その出自がよく似ています。

秀吉は、尾張中村の百姓の子に生まれ、信長の草履取りから関白まで出世をとげます。

田中角栄も、新潟の百姓の子から身をお越し、総理大臣にまで上り詰めます。

今太閤と言われました。

さらにこの二人が似ているのは、

人たらし

の部分です。

秀吉の最大の武器は、

調略

です。

口八丁手八丁

さらに、金銭を使って敵を見方に引き込みます。

秀吉は、元々武士ではないので、腕には自信がありません。生きる道はこれしかないのです。

田中角栄も、

希代の人たらしです。

彼の街頭演説を聞いていると、頷きながら聞いている自分がいます。

きっと、角栄

話術キャラクター

がそうさせるのでしょう。人を引き付ける不思議な魅力があります。

お金も沢山使いましたが、最後は、お金(ロッキード事件)で、躓いてしまいます。

もう一つの二人の類似点は、外交です。

豊臣秀吉は、朝鮮に出兵して、晚節を汚します。

秀吉が、なぜ朝鮮に出兵したかは諸説あるようです。しかし、この朝鮮出兵が豊富政権崩壊を導きました。

秀吉は朝鮮ばかりか、中国、明の征服も夢見ていたようです。

一方の田中角栄は、

オイルショックの時の

総理大臣です。

アメリカが支援するイスラエルに、アラブ諸国が戦争を仕掛けます。

第四次中東戦争です。

この時アラブ諸国は、イスラエルに味方する国には、石油を売らないと宣言します。

イスラエル支持のアメリカは、アラブ諸国に味方しないように日本に圧力をかけます。

8割の石油を、アラブ諸国から輸入していた日本は絶体絶命です。

この時、田中角栄アメリカの圧力に抗して、アラブ諸国を回り、石油を手に入れます。

こうして、日本のオイルショックは終息を迎えることが出来ました。

しかし、この田中角栄の判断が、アメリカ政府(ニクソンキッシンジャー)を怒らせます。

今でも、ロッキード事件は、キッシンジャーが仕掛けた、田中角栄への復習だという人は、少なくありません。

真相は闇のなかです。

豊臣秀吉田中角栄も時の大国に牙を剥き、倒れたのだとしたら、何かの因縁を感じませんか?

難しいのが、徳川家康です。さて、誰がいるでしょう?

少し無理があるかも知れませんが、

吉田茂

は、如何でしょうか?

徳川家康吉田茂の共通点は、長い平和を築いたことです。

江戸時代は、260年。

戦後日本は、76年。

こんなに長い間、日本は外国と戦争をしていません。

私達、日本人は今、その有り難みを味わっています。

そんな国を造ったのが、徳川家康吉田茂です。

徳川家康は、戦国時代を終わらせました。

もちろん、織田信長豊臣秀吉のつくった世を、ちゃっかり頂いた、という言い方も出来るかも知れません。

しかし、260年の平和の礎を築いたのは、徳川家康なのです。

湿地帯で何もなかった江戸が、百万都市に変貌しました。

家康の百万人の飲み水を確保する手口など見事です。

徳川家康の偉大さは、武人としての面より、国を治める行政官としての面にある知れません。

親藩、普代、外様等の統治機構や、参勤交代の制度など巧みに諸大名を統治します。

こうして、江戸は260年の泰平を謳歌するのです。

吉田茂は、戦後の荒廃から日本を立て直し、サンフランシスコ講和条約を結びます。独立を成し遂げました。

これは、吉田茂にしか出来ない力業です。

吉田茂は、マッカーサーを相手に五分に渡り合って、日本の利益を守りました。

30万の軍隊の設立を求めるアメリカに対し、

5万の自衛隊の創設で推し切りました。

その交渉術たるや見事なものです。

日本は、軍事はアメリカにお願いして、経済に全力を注ぎます。

今の豊かな日本は、こうして生まれたのです。

もう一つ似ているのは、そのワンマンぶりです。

ワンマン徳川家康を支えたのが、徳川四天王です。

酒井 忠次

榊原 康政

本田 忠勝

井伊 直政

親の代からの、信のおける部下でした。

新参の部下が多い、信長や秀吉と少し違うところです。

彼等の子孫が代々徳川家を支えていきます。

吉田茂のワンマンぶりもつとに有名です。

吉田茂には、吉田学校で自ら育てた、沢山の官僚がいました。

池田 勇人

佐藤 栄作

前尾 繁三郎

岡崎 勝男

橋本 登美三郎

福永 健司

後に名をなした人ばかりです。

吉田茂は、自前の内閣で、彼らを自在に使います。組閣は誰にも相談しません。

戦後の混乱期だから出来たのでしょうが、当選一回の池田勇人を大蔵大臣に起用します。

私の独断と偏見で

戦国の三英傑と

戦後の総理大臣

をマッチングしてみました。

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