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オンライン家庭教師です。

中国成長の謎

世界の大国に成長した中国。

ソ連に代わり、今アメリカのライバルは中国です。

世界第二位の経済大国になりました。

安い賃金を武器に、世界の工場と言われるまでに経済成長を遂げました。

しかし、本当の中国の強さは、そこではありません。

BATHと呼ばれる

中国の巨大IT企業が、アメリカの巨大IT企業、GAFAを脅かそうとしているのです。

B バイドゥ

A アリババ

T テンセント

H ファーウェイ

です。

日本が失われた20年と言われる、停滞の時代に入った時、

中国は、

グローバル経済

IT時代の到来を見越して、着々と準備をしていました。

その先見の明が、巨大企業を作り上げました。

BATHの成長の秘密を少しだけ見てみましょう

BATHも、GAFAの後追いでスタートします。

その後、技術力の向上にともなって、独自の進化を遂げていきました。

IT企業の生命線は、

イノベーション

です。

常に、新しい技術を産み出すことを求められます。

(中国は共産主義国家。共産主義は、みんな平等で競争がないから、経済競争には勝てない。)

私達日本人には、そんな思い込みがありました。

しかし、BATHはあっと言う間に、世界を席巻しました。

なぜ、BATHはこんなことが出来たのだろうか。

BATHは中国の経済特区

深セン

と言う所にあります。

これが秘密です。

深センでは、常に人的交流が盛んで、社員同士が

刺激しあい、新しい

イノベーション

を産み出す原動力となっているのです。

選ばれたエリート達が、日々競い会う社会が出来上がっていました。

潰し会う競争ではなく、

イノベーション

を産み出す競争が生まれるのです。

中国は、日本のように司令塔のいない(国家戦略のない)競争はしません。。

国が成長の青写真を描き

、お金も出します。

日本の企業は、国内での熾烈な潰し合いに終始していました。

三洋電機がつぶれ、

山一証券

北海道拓殖銀行

が無くなりました。

戦後の高度経済成長を支えた、護送船団方式からなかなか脱け出せないのが日本の姿です。

一人一人が厳しい競争の中で、切磋琢磨する中国

次第に、日本と中国の立場は大きく逆転します。

そんな中国が国際社会にデビューしたのは、

1972年です。

中共同宣言と

日中国交正常化

が、同時進行のような形で起こります。

この年が新中国元年と言えます。

長引くベトナム戦争の泥沼に苦しむアメリカでは、全米各地で、ベトナム戦争反対のデモが起こります。

和平の糸口を探っていたニクソン大統領は、中国を通しての和平交渉に期待を寄せます。

中国は、政治路線の違いからソ連との対立を深めます。

国境で、ソ連との武力衝突を起こし、世界で孤立していました。

中国にとっても、アメリカとの接近は、渡りに船だったのです。

アメリカと中国の利害が一致しました。

キッシンジャーは北京に飛び、周恩来と秘密会談を重ねます。

この秘密会談を受けて、

1972年5月

世界をあっと言わせる、ニクソン大統領の北京電撃訪問が実現します。

ニクソン大統領は、北京で毛沢東と歴史的な握手をします。

この出来事を日本が知らされたのは、ニクソン訪中二日前です。

全く蚊帳の外に置かれた

佐藤栄作総理大臣は、失意のうちに退任を余儀なくされるのです。

1979年には

米中国交正常化

が実現します。

この時の中国の最高指導者は 

トウショウヘイ

です。

(改革解放政策)

を掲げて、アメリカ資本を始めとする、外国資本を積極的に受け入れます。

今の中国の、経済発展の基礎が作られました。

続いて、

日中国交正常化

の流れも、劇的なものでした。

失意の佐藤政権のあとは、

1972年7月

田中角栄内閣

が誕生します。

ニクソン大統領の訪中を見た田中角栄は、外務大臣の大平正義を派遣し、

訪中の可能性を図ります。

周恩来は、

日本の太平洋戦争における賠償は、求めない。

と伝えます。

大平は今しかない。と感じますが、台湾をどうするかという、問題が残ります。

自民党内には、

親台湾

の国会議員が数多くいます。

対応を間違えれば、田中も大平も、進退問題が浮上します。

田中も大平落も腹を括りました。

見切り発車で北京に飛びます。総理大臣就任、

2ヶ月のことです。

(多大なご迷惑)

と言う田中の発言に中国の強い反発もありましたが、

無事

中共同宣言

にこぎ着けました。

十億人を越える、中国の巨大市場を目指して、日本の資本が一斉に中国に向かいます。

中国の経済発展の、もう一つの原動力が生まれました。

時期を同じくして、

アメリカと

日本が

中国の経済発展を牽引していきます。

中国にとっては、時の最高指導者が

トウショウヘイ

だったことが、幸いでした。

トウショウヘイは

(中国は、経済的に遅れた国だから、先進国に学ぶ。)

という姿勢を崩しませんでした。

豊かになった中国の

習近平に、

貧しかった中国の

トウショウヘイ

のこの精神があれば。

そんなことを考えても、詮ないことでしょうか?