かのように
アメリカでダーウィンの進化論を信じる人が過半数を越えたという。
逆に、4割のアメリカ人が旧約聖書の創世記を信じている。つまり、神が1日でこの世界をお造りになり、私達はその神の教えに従った生活すれば、幸せになれると信じているのである。
キリスト教原理主義や宗教右派は、アメリカの一大政治勢力になっている。大統領選挙において、この勢力を見方につけなければ、勝利は覚束ない。その後の政権運営にも絶大な影響力を持つのである。
コロナ対策として、18歳未満の子供達に10万円配るのも、公明党の意向を自民党が無視できなかった結果である。微妙なパワーバランスと言える。
いつの時代でも、宗教勢力は無視できない。
信長の最大の敵は、浅井、朝倉や武田信玄ではなく、本願寺の一向宗徒だった。
ヨーロッパの中世を彩ったのも、教会が主導した十字軍。カトリックとプロテスタントが極限まで争った三十年戦争等、憎しみの種は宗教に基因することがほとんどである。
太平洋戦争では、断末魔の日本軍が神風アタックを敢行した。片道燃料でアメリカの戦艦に体当たりする。アメリカ兵は驚いたことだろう。
役割演技で、神を演じさせられたのが天皇。影でシナリオを書き、音頭を取ったのが日本の軍人である。
(天皇陛下。バンザイ。)
いかなる思いで少年兵は、海の藻屑と消えたのだろうか?
水と油どころか、
蛇とマングースだ。
科学の発展は、創世記の領域を徐々に侵食していく。神がこの世界をお造りになったという神話は根底から覆される。
ニーチェは言った。
(神は死んだ。)
科学で神の存在は立証できない。そんなことは誰でも、頭では理解しているのだ。
その上で、
つまり、
確信犯として、
いや、信じようとしているのではないだろうか。
つまり、生きていくための手段として、
神が存在する
(かのように)
信じている。
自分の行動の基準にするために。
それがないと、行動が大きく左右にぶれ、恐いのだろう。神に自らを委ねることで、安心を手にいれる事ができるのかも知れない。
最後に、ダーウィンの進化論の矛盾について考えてみよう。
進化論は、進化した者が勝ち組で、進化に乗り遅れた者は、敗者として、退けられる。
弱肉強食に近い。
勝ち組には都合が良く、負け組は自然淘汰されていく事になる。背筋が寒くなる。負け組には救いがない。
そこで、
神がいる
(かのように)
考える世界が必要になる。神の采配が弱者を救う術を施すのである。
科学が万能でないことも、現代の歴史が証明している。
であるならば、やはり神の救いにすがり、救済を待つことも一つの選択肢ではないだろうか?