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オンライン家庭教師です。

だから、歴史は面白い

戦国の三英傑。

織田信長

豊臣秀吉

徳川家康

について、それぞれに大事たと思う五つの出来事を、イメージしてみました。

人により、イメージする出来事は、足利義昭大きく違うはずです。

そこで、私は独断と偏見で、決めてみたいと思います。

ぜひ、賛同、異論、反論をお聞かせ下さい。

まず、

織田信長からはじめましょう。

信長で絶対に外せない場面は、最初と最後の場面です。

信長が世にでるのは、1560年の桶狭間の戦いです。

そして、1582年の本能寺の変で、あっけなく終焉を迎えます。

つまり、

①1560年 桶狭間の戦い

⑤1582年 本能寺の変

となります。

②③④は、以下の通りとしました。

②1567年 美濃平定

③1569年 上洛

④1580年 石山本願寺と        

     の和睦 

これが、私の選んだ

Best 5です。

ここで、信長の率いる織田軍団が、直接戦った相手方の武将を挙げてみましょう。

今川義元 斎藤龍興

浅井長政 朝倉義景

足利義昭 三好長慶

武田信玄 武田勝頼

上杉謙信 毛利輝元

顕如

何とも恐ろしいような、戦国の雄ばかりです。

おっと、最後にもう一人、本能寺の変で、信長を殺すことになる、部下の明智光秀もいましたね。

では、この中で①~⑤の出来事に、直接関係する武将を挙げてみます。

①は今川義元

②は斉藤龍興

③は足利義昭

④は顕如

⑤は明智光秀

です。

他に信長が関わった出来事を挙げてみます。

姉川の戦い

長篠の戦い

長嶋一向一揆鎮圧

甲州征伐

等、天下布武のためには、大事な戦いばかりです。

心を鬼にして、5つに絞りました。

続いて、豊臣秀吉を見ていきます。

①1570年

 金ヶ崎の退き口

②1577~

 播磨、但馬平定

③1582年

 中国大返し

 山崎の戦い

④1583年~ 

 賤ヶ岳

 小牧長久手の戦い

⑤1587年~ 

 朝鮮出兵

①~⑤に関係する武将を挙げてみます。

朝倉義景

黒田官兵衛

 別所長治

 山中鹿之助 尼子勝久

 荒木村重

明智光秀

柴田勝家 織田信孝

 織田信雄 徳川家康

黒田長政 福島正則

 加藤清正 石田三成

とります。

他に秀吉に関わる闘いには、

清洲会議

高松城の水攻め

小田原城攻め

等があります。

この中でも、清洲会議は、後の豊臣政権樹立に大きな意味があったようです。

最後に

徳川家康を見ていきます。

外せないのが最後の二つ

④1600年

 関ヶ原の戦い

⑤1614年

 大阪冬の陣、夏の陣

です。徳川三百年の礎が築かれました。

そうなると、

①1573年

 三方原の戦い

②1579年

徳川信康、築山殿殺害

③1582年

天正任午の乱

を選びました。

徳川家康は、桶狭間の戦いで戦国武将として、一人立ちするのですが、信長がメインなので、桶狭間の戦いは信長に譲りました。

たま、

小牧長久手の戦いは、家康にとっても大きな戦いですが、秀吉の天下を決める戦いなので、秀吉に譲りました。

①~⑤に関係する武将を見ていきましょう。

武田信玄

織田信長

北条氏政 北条氏直

石田三成 宇喜多秀家

 大谷吉継 小西行長

豊臣秀頼 淀君

 真田幸村 

 

外に、

第一次、第二次

上田合戦

第一次、第二次

高天神城の戦い

長篠の戦い

等があります。

天下取り半ばで、部下に殺された信長。

その手につかんだ天下を、息子に渡せなかった秀吉。

260年の徳川政権を築いた家康。

彼等の運命を大きく分けたものは、何だったのでしょうか?

三人の生まれた年を調べてみました。

信長 1534年

秀吉 1537年

家康 1543年

思ったより年齢差がありません。

三歳。

六歳。

大きな意味はないようです。

私は、あることが気になりました。

戦国という

STAGE(舞台)

に立った時間の長さが大きく違います。

信長 49年

秀吉 63年

家康 73年

もし、織田信長が後、10年生きていたら、織田信忠が天下を治めていたはずです。

もし、豊臣秀吉が後10年生きていたら、天下は豊臣秀頼のものになっていたでしょう。

様々な偶然や、時の勢いが折り重なって、歴史は作られていくようです。

だから、歴史は面白い。

ては、織田信長から

順番に見ていくことにします。