プーチンの言い分
今、ウクライナ侵攻で、世界中から非難が集中する、ロシアのプーチン大統領。
彼の中には、どんな屁理屈があるのでしょうか?
何故、そこまでウクライナに拘るのか。
彼の頭の中を覗いてみましょう。
20年に及ぶプーチン政権。
その権力基盤は何なのでしょうか?
プーチンが大統領に就任した2000年、世界の石油価格が急騰しました。
豊富なオイルマネーを使って、軍を建て直し、ロシアの新興財閥を手中に納めます。
マスコミも、国家の統制下に置くのです。
何より、ロシア人の生活を水準が目に見えて、改善します。
実は、1990年代のロシアの人々の日常生活は、悲惨さのものでした。
1991年に、ソ連が解体して、エリツィンが政権を握りました。
エリツィンは、何の考えもなく、資本主義に舵を切ります。
70年に渡って、共産主義経済しか知らないロシア社会は、混乱の極みに陥ります。
ハイパーインフレが進み、国に尽くした老人の年金は、紙屑同然です。
人々は明日の食べ物を求めて、1日中行列に並ばなければなりません。
1994年には、ロシア人男性のの平均寿命は、58歳にまで下がります。
そんな恐ろしい時代がやって来ました。
このタイミングて、現れたのが、プーチン大統領でした。
プーチンの登場に合わせるように、石油マネーが急騰します。
困窮の極みにあったロシア国民の生活が、少しずつ豊かになっていきます。
年率7~8%の経済成長は、ロシア国内に大きな富をもたらしました。
約10年に及ぶ、石油マネーによる経済成長は、プーチンの人気を不動のものにしました。
さらに、プーチンの人気を不動にした出来事に、グルジアとチェチェンへの軍事侵攻があります。
素早いプーチンの軍事行動は、完膚なきまで両国をたたき潰しました。
この軍事侵攻て、強いロシアを体現したプーチンの政権基盤は、磐石になったのです。
しかし、2010年代に入り、石油価格が暴落します。
さらに、様々なプーチンによる、暗殺スキャンダルが流されます。
イギリスの情報機関や、ロシアのマスコミとの戦いです。
しかし、プーチンへの信頼は、さほど揺らぐことはありませんでした。
ロシアの人々にとっては、豊な生活をもたらしてくれたのは、プーチンだったのです。
世界から避難をあびるクライナ侵攻も、ロシアの人々にとっては、強いロシアをつくるための必要条件なのかもしれません。
そして、ウクライナに侵攻するか、しないかは、プーチンの考え一つなのです。
プーチンの後ろには、それを支持する、一億五千万人のロシアの国民がついています。
では、なぜプーチンは、ウクライ侵攻を止められないのでしょうか?
そこには、ロシアとアメリカの関係悪化が起因しています。
プーチンが大統領に就任した2000年台始めは、アメリカとロシアは蜜月でした。
2001年に、同時多発テロに襲われたアメリカ大統領、ブッシュジュニアは、対テロ戦争を宣言します。
プーチンはロシア国内に、対アフガン攻撃用のミサイル配備を容認します。
これは、アメリカへの全面支持を表明した事になります。
しかし、その後ブッシュ政権は、プーチンの思惑など、眼中にはありません。
イラクのサダムフセンと友好関係にあった、プーチンにとっては、困った問題です。
イランは、一方的に破壊され、統治能力を失います。
ISなどのテロ組織の温床になるのです。
さらに、2010年代に入ると、アラブの春が起こります。
最後は、シリアです。
プーチンは、こう考えていました。
アラブ春は、アメリカが裏で糸を引いている。
アメリカのCIAが、中東の支配を目論んで、わざわざ混乱を引き起こしている。
そのための手段として使われたのが、インターネットです。
プーチンは、シリアのアサド大統領とは、親密な関係であり、シリアに武力介入します。
アメリカとロシアの蜜月は、過去のものとなっていきました。
こうしてロシアは、習近平の中国に接近していくことになるのです。
ウクライナ問題と、台湾問題で、世界中の嫌われ者となったロシアと中国の接近は、必然だったのです。
最後に、NATOに対する
プーチンの怒りにみみを傾けてみましょう。
ロシアはワルシャワ条約機構を解体します。
東西対立が無くなり、無用の長物なりました。
そればかりか、アメリカは、加盟国をどんどん増やしています。
旧ソ連の同盟もその傘下に納めています。
さらに、ウクライナまで失う事は、、我慢のできる事ではありません。。
ロシアはどんな犠牲をはらっても、ウクライナを
自分の陣営に留めなければなりません。
ロシアにとってウクライナは、究極のレッドラインです。
どんな結末が待っているのでしょうか?