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オンライン家庭教師です。

大日本帝国と             ドイツ第三帝国

世界を相手に無謀な戦争を仕掛けて、完膚なきまでに叩きのめされた二つの国家。

大日本帝国

ドイツ第三帝国

どんな足取りをたどり、破滅へと向かったのか?

なぜ戦争を止められなかったのか?

その歩みを、同時進行で並べて見ることで、何か見えてくるものは、無いのだろうか?

まず、

○を大日本帝国

△をドイツ第三帝国

として、その崩壊までの道筋を辿ってみよう。

1923年

関東大震災が発生し、十万人の死者が出る。

日本経済は壊滅的な打撃を受ける。

△ドイツの賠償金未払いを理由に、フランスがルール地方を占領する。

これにより、ドイツで天文学的なハイパーインフレが起こる。

ヒトラーナチス国家社会主義労働者党)を結成し、ミュンヘン一揆を起こすが失敗する。

1924年

○震災恐慌により、失業者が急増し、社会主義運動が盛んになる。

1922年に、日本共産党が結成される。

△収監中のヒトラー

我が闘争

を執筆する。

ドイツ民族の優位性を謳い、ユダヤ民族の根絶を目指す。

我が闘争では、東方生存権構想により、東ヨーロッパやロシアへの侵略の意思を明確にする。

後に、その野望は、ポーランド分割や対ソビエト戦争と言う形で現実のものとなる。

1925年

○男子普通選挙が始まる。社会主義者の政治参加を懸念して、治安維持法を制定する。

左翼活動家への取り締まりが厳しくなる。

小林多喜二が特効警察に殺される。

1927年

○片岡大蔵大臣の失言で、金融恐慌か起こる。銀行の連鎖倒産が相次ぐ。

高橋是清がモラトリアムを発動し、平穏を取り戻す。

1929年

○浜口内閣が金解禁を強行する。

半年後に発生した、アメリカ発の世界恐慌に巻き込まれ、日本は未曾有の不景気に襲われる。

小津安次郎の名作

(大学は、出たけれど)

がヒットする。

1930年

△低迷していたナチス世界恐慌により、息を吹き返す。

ナチスは、ファシズムによる経済再建を訴え、議会選挙で、107議席を獲得し、第2党に躍進する。

1931年

○仕事をなくした若者や、失業者が町に溢れる。

新天地を求めて、関東軍満州事変を引き起こす。

暴発を続ける関東軍

、それを止めることの出来ない日本国政府

戦前の日本の、悲しい構図です。

1932年

○515事件が起こる。陸海軍の若手将校が、国家改造を唱えて、

犬養 毅首相を

銃殺する。

裁判では、犯人の国を憂う心情に、同情が集まり、ほとんどの犯人が微罪となる。

その結果、軍人が発言力を増し、226事件や数々のテロ事件を引き起こす。

ナチスは、台頭する共産勢力との対決を表明し、資本家勢力の支援を取り付ける。

230議席を獲得し、第一党となる。

1933年

リットン調査団の調査により、満州国の承認は否決される。

全権の松岡洋右は、離脱演説を行い、決然と席を立つ。

ヒンデンブルグ大統領は、第一党の党首、ヒトラーを首相に指名する。

ナチスによる内閣が成立する。

△首相に就任したヒトラーは、国会議事堂焼き討ち事件を共産党の仕業 と断定し、共産党を壊滅に追い込む。

さらに、突撃隊により国会を取り囲み、全権委任法を成立させる。

ナチス以外の政党は全て解散させられ、ヒトラーによる独裁体制が確立する。

アメリカは、ジュネーブ軍縮会議を開催し、ドイツをおさえ込もうとする。

孤立したドイツは、

ジュネーブ軍縮会議ばかりか、国際連盟も脱退する。

日本とドイツは世界の孤児となる。

1934年

△突撃隊長のレームが、ヒトラーからの権力の奪取を目論む。

親衛隊長ヒムラーは、レームの裏切りを、ヒトラーに密告する。

ヒトラーは、長年の盟友のレームを殺害する。

この(長いナイフの夜)で、最大のライバルを消したヒトラーは、独裁権力を強化する。

そこで、ヒトラーヒムラーの親衛隊を使い、

ユダヤ人狩りを開始する。

アウシュビッツなどの強制収容所には、無数のユダヤ人が収容され、ガス室に送られることになる。

1935年

△国内に敵のいなくなったヒトラーは、再軍備を高らかに宣言する。

強いドイツを求めるドイツ国民の支持を受け、ドイツに徴兵制を敷く。

兵力は60万に達し、ヨーロッパ最強の軍隊が出現する。

この再軍備が、ドイツが世界恐慌からの脱出する切り札となる。

つまり、ドイツが軍事国家へ変貌する過程で、大量の若者が、軍隊や軍需産業に吸収され、失業者問題が解消する。

さらに、アウトバーンの建設等で、国内産業は活性化し、ヒトラーの権威は絶頂に達する。

△絶対権力者となったヒトラーは、アーリア民族の優秀性と、ユダヤ民族の劣等性を宣言する。

ニュルンべルグ法の制定です。

1936年

○陸軍は、515事件の失敗に懲りず、皇道派青年将校が、226事件を引き起こす。

天皇親政を訴えて、

高橋是清

渡辺錠太郎

斎藤実

を殺害する。

さらに、

鈴木貫太郎

重傷を負わせる。

幸いにも、岡田啓介首相は。無事でした。

昭和天皇は、この反乱に、一切の妥協を許しませんてした。

弁護人無しの裁判で、被告全員が死刑です。

再軍備を宣言したヒトラーは、フランス国境の非武装地帯、

ラインランドに

進駐します。

しかし、フランスは反撃しません。

この賭けに勝ったヒトラーは、領土拡大の野望を膨らませていきます。

ここから、英仏首脳と、ヒトラーのギリギリの心理戦が始まります。

1937年

○盧溝橋での一発の銃声から、泥沼の日中戦争が始まります。

現地では、停戦条約が結ばれていました。

しかし、近衛文麿内閣は優柔不断で、正式な停戦条約を結ぶことが出来ません。

日本軍は、蒋介石の術中にはまり、中国大陸の奥地へ、奥地へと戦線を広げます。

○日本軍は、蒋介石軍と上海で激突します。第二次上海事変です。

○辛くも上海事変に勝利した日本軍は、南京事変を起こします。

東京裁判で、日本軍による大虐殺があったとされますが、真実は、分かりません。

1938年

△牙をむいたヒトラーはドイツ人保護を名目に、オーストリアを併合します。

オーストリアに住んでいて多くのドイツ人は、歓喜してヒトラーを迎えるます。

△気を良くしたヒトラーは、チェコスロバキアのズデーデン地方の割譲を要求します。

ミュンヘンに集まった各国首脳は、この要求に屈します。

イギリスでは、妥協を重ねたチェンバレン首相が、その地位を追われます。

新しい首相チャーチルが、ヒトラーを迎え撃つことになります。

1939

ヒトラーミュンヘン会談の合意を反故にし、新たに、ポーランド分割を企みます。

パートナーはなんと、スターリンです。

スターリンとの密約により、東西からポーランドを分割します。

世界地図から、ポーランドが消えてしまいす。

△我慢の限界を越えた英仏がドイツに宣戦布告します。

第二次世界対戦の始まりです。

1940年

○△松岡洋右の主導で、日独伊三国同盟が成立します。

米英主導の世界秩序に、対抗する勢力が、生まれます。

△ドイツ軍は、フランス軍自慢のマジノ線を簡単に迂回し、電撃的にパリに入場します。

これで、ヨーロッパ大陸の大半が、ドイツのものになります。

△破竹の勢いのドイツ軍に追われた、英仏軍の兵士40万人が、ドーバー海峡ダンケルクに追い詰められます。

ヒトラーは、ドイツ陸軍への権力集中を恐れ、ダンケルクへの出動命令を拒否します。

これにより、英仏軍はダンケルクから、脱出に成功します。

△そこで、ヒトラーは、ロンドン空爆を決断します。

チャーチルは徹底抗戦を誓い、これを迎え撃ちます。

高性能のレーダーを備えたイギリス空軍は、数に勝るドイツ空軍を打ち破ります。

ゲーリングは、空軍最高司令官を更迭されます。

向かうところ敵無しだった、ドイツ軍の勢いに陰りが見え始めた瞬間です。

1941年

△イギリスとの西部戦線に手詰まりのヒトラーは、突如ソ連に侵攻します。独ソ戦の始まりです。

ヒトラーは、ゲルマン民族が、スラブ民族を奴隷化するとして、バルバロッサ作戦を開始します。

東条英機内閣が成立します。

近衛文麿首相の内閣投げ出しにより、何故か東条英機に組閣の大命が下りました。

昭和天皇の厳命を受けた東条は、アメリカとの戦争回避を目論みます。しかし、走り出した戦争への流れは留める事は出来ません。

連合艦隊指令長官山本五十六は、真珠湾を奇襲攻撃します。太平洋戦争の始まりです。

戦争のチャンスを待っていた、アメリカ大統領ルーズベルトは、日本軍の真珠湾攻撃により、開戦の大義名分を得て、勇躍、日本との戦争に乗り出します。

1942年

○連戦連勝の日本海軍は、一瞬の油断で、アメリカに大敗北を喫することになります。

初戦からの勝利で、緩みきっていた日本海軍は、偵察を怠り、無電は傍受され、魚雷の付け替え作業中に、一方的に、爆撃される。

ミッドウェーで、一気に四隻の空母を失った日本海軍は、その後、じり貧の戦いを強いられることになります。

ガダルカナル島の戦い

はまさに地獄絵図です。

投入兵力30000人。

戦闘による死者  

     5000人

餓死と戦病死合わせて

    15000人

海軍のミッドウェー海戦と並ぶ、陸軍の負け戦の始まりである。

レニングラードの戦いは、人類が経験した最悪の戦争です。

900日に及ぶ包囲戦で、ロシア兵士、市民の死者は100万人に及びます。

この戦いを耐え抜き、ロシア軍の反撃が始まります。

1944年

サイパン島テニアン島が陥落して、東京空爆が始まります。

給油せずにB29が東京まで飛行し、帰還できるようになったのです。

日本の200の都市が空爆の対象となりました。

アメリカのヨーロッパ戦線への参戦が、大戦の流れを一気に変えます。

その象徴が

ノルマンジー上陸作戦です。

総司令官、アイゼンハワ

将軍の、天候を読みきった的確な判断が、勝利を呼び込みました。

1945年

○3月10日の東京大空襲で、東京は、焼け野原になります。。

死者は十万人です。

○広島 長崎に原子爆弾が投下されます。

街は、一瞬で壊滅します。

ポツダム宣言を受諾し、ラジオから、天皇陛下玉音放送が流れます。

終戦です。

△万策つきたヒトラーは、愛人のエバブラウンと結婚式を挙げます。その後、二人は自殺を図ります。

第二次世界対戦の終戦です。

ここからは、

日本とドイツの類似点と相違点をみていきます。

利益線と東方生存権

山県有朋が唱えた利益線

という考え方が、陸軍の大陸進出のベースとなりました。

国は、国境である主権線

の外に、国の利益を守るための利益線を引き、進出し、支配する権利を有する。と言うものです、

昭和の陸軍は、この考えに力を得て、朝鮮や満州に進出します。

満州事変後は、満州国を建設し、中国への侵略の足場を築きます。

暴走が止められない関東軍は、政府の意向を無視し、中国大陸へと、軍を進めます。

泥沼の戦争は、現地の軍隊が勝手に動き、事後承諾すると言う、全体を指揮するリーダーのいない、不思議な戦争だったのです。

ドイツでは、

東方生存権

の思想が、強く推し進められていきます。

オーストリア

チェコスロバキア

そして

ポーランド

ヒトラーは一歩一歩、野望を成し遂げていきます。

しかし、

イギリス、フランスの譲歩もそこまででした。

イギリス、フランスが

ドイツに宣戦布告をし、第二次世界対戦が始まります。

ヒトラーは、ドイツ民族の優秀性を信奉するあまり、ユダヤ人の大虐殺と言う悲劇を招きます。

この反ユダヤ主義の考えも、

我が闘争

に、明確に書かれています。つまり、ヒトラーユダヤ人の虐殺は、確信犯なのです。

殺戮すべくして、殺戮したのです。

片寄った思想は、いかに恐ろしいか。を示しています。

ヒトラーは次に、その野望をソ連に向けます。

独ソ戦の始まりです。

三年近くに及ぶ

レニングラード包囲戦

ソ連軍の死者は、100万人に及ぶと言われています。

スターリングラードの戦いは、雪と冬の寒さがヒトラーに、引導を渡した戦いと言えます。

この戦いを境に、攻守が逆転し、ヒトラーは破滅に向かいます。

日本でも、ドイツでも、軍部が力を得る、きっかけは、

不景気と

共産党のようです。

1929年のウォール街の株価の大暴落による不景気は、

日本では、軍部を

ドイツでは、ナチス

巨大な勢力にのしあげる原動力になりました。

日本もドイツも、不景気にあえぎ、国内では食料や資源が手に入りません。

この不満のはけ口として、隣の国に軍を進めるのです。

日本でも、ドイツでも国民の熱狂的な後押しで、侵略は正当化されていきます。

共産党を敵として、支持を獲得する手口も、そっくりです。

共産党一党独裁を行ったら

日本はどうなる?

ドイツはどうなる?

こんなうたい文句に踊らされて

日本国民もドイツ国民も、熱狂的に

日本軍を

ナチス

支持するようになったのです。

最後に、戦争指導者の比較をしてみましょう。

ドイツはヒトラーです。

ヒトラーは、第一次世界大戦からの復興を、ナチスに任せて欲しいと訴えます。

親衛隊を使った選挙妨害もあり、政権を握ります。

そこで、ヒトラーのねらいは、二つに絞られます。

東方への領土拡大と

ユダヤ民族の殲滅です。

この思想の根底には

ヒトラー第一次世界大戦に敗北した時の怨念が籠っています。

ドイツ軍は、決して負けてはいなかった。

ユダヤ人と

共産党

我々の背中から銃を打ってきた。

やつらの裏切りがなければ、ドイツは負けていない。

と、言うものです。

その思いが

ナチスの世界戦略を形作るのです。

日本のトップは、東条英機でしょうか?

大分、役不足の感が拭えません。

東条英機が首相になった三つの要因を挙げてみましょう。

永田鉄山暗殺

226事件

木戸幸一による推挙

永田鉄山

超エリート軍人で、陸軍の人事を左右していました。

それを妬んだ、皇道派の相沢三郎に白昼、惨殺されます。

永田がいなくなり、浮かび上がった東条に、次の幸運が訪れます。

226事件で、皇道派の軍人が一掃されます。

必然的に統制派の東条はが、権力の中枢へと登り詰めていきます。

そんな東条を首相に推挙したのが、木戸幸一です。

しかし、木戸は、東条を高く評価していた訳ではありません。

東条の天皇陛下への絶対服従を利用して、アメリカとの開戦を、阻止しようと考えたのです。

つまり、東条が首相になろうとは、本人を始め、誰も考えてもいなかったのです。

東条英機は、三つの偶然が、つくりあげた首相なのです。

東条は、実務家としては、優秀だったようですが、一国を率いる器では、ありませんでした。

そんな首相に率いられて約三年、最初の半年を過ぎると、日本は負けつけます。

戦争は、精神力の戦いだだ。

と考える東条英機は、負けても、負けても、戦争をやめません。

戦後、東条は東京裁判のため、収監されそうになると、

自殺します。しかし、上手く自殺すら出来ません。

そんな日本の悲しいリーダーは、絞首刑になります。