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オンライン家庭教師です。

ニニ六事件の事。

日本が、太平洋戦争に向かうことになった分岐点が、二ニ六事件でしょう。

日本陸軍が起こした、大不祥事であるのにも関わらず、陸軍がその後の日本政治を牛耳ることになります。

多くの政治家は、軍に逆らえば、自分の命が危険に晒されされることを、身に染みて感じます。

二二六事件から、太平洋戦争開戦までの5年間は、総理大臣の受難の時代でした。

以下が、ニニ六事件で岡田啓介が総理大臣を辞任し、東条英機が組閣するまで5年間の総理大臣です。

広田弘毅

林銑十郎

第一次近衛文麿

平沼騏一郎

阿部信行

米内光政

第二次近衛文麿

5年間で七代(6人)の総理大臣が生まれました。

如何に、不安定な時代だったかが分かります。

政治家は軍部の意見に左右され、何の決断もできず、迷走します。

その迷走の始まりが、ニニ六事件だったのです。

では、ニニ六事件とは、どんな事件だったのでしょうか?

ニニ六事件は、昭和初期の不景気が起こした事件と言っても、過言ではありません。

疲弊した農村では毎日の食事にも、事欠く有り様でした。

陸軍は、大陸に進出し、満州国を建てます。

日本国内では、十分な食料生産が間に合わず、満州へと進出したのです。

陸軍に入隊する新兵も、少ない給料から、田舎の家族にに仕送りをする者がほとんどでした。

この惨状を見かねた陸軍の青年将校は、天皇を取り巻く側近が悪いのだと考えます。

彼らは国家改造を目指して、皇道派を結成します。

皇道派のリーダーに担いだのが、荒木貞夫と真崎甚三郎でした。

皇道派が目指したのが、天皇が自ら政治を行う天皇親政の国家です。

そのため、岡田啓介内閣を倒し、真崎甚三郎内閣を造ろうとしたのが、ニニ六事件なのです。

ニニ六事件では、陸軍の青年将校が1400名の

現役の兵隊を動かし、

高橋是清 大蔵大臣

斎藤実 内大臣

渡辺錠太郎 教育総監

を殺害しました。

鈴木貫太郎侍従武官長にも、重症を負わせます。

この時点では、クーデターは、成功したかに見えました。

青年将校に好意的な、陸軍大臣告示が下達されたのです。

青年将校達も、自分達の真意が、昭和天皇に認められたと思い込みます。

しかし、ここで二つの齟齬か生じます。

一つは、自分達がリーダーと担いだ、真崎甚三郎の腰が定まらないのです。

総理大臣の椅子に色気を見せたり、模様眺めで全くの優柔不断です。

二つ目の齟齬は、彼らが信じきっていた昭和天皇が、驚きの行動に出るのです。

決起した青年将校を、反乱軍と決めつけます。

その上、自ら近衛軍を率いて、反乱軍を討伐するというのです。

青年将校にとっては、全く思っても見ないことでした。

万事休すです。

天皇に弓を引く行為は、国賊に当たります。

昭和天皇は、お前たちは国賊だと言い放ったのです。

天皇陛下が日本を救ってくれると信じて立ち上がったなのに、その昭和天皇に裏切られました。

何故、こんな齟齬が生じたのでしょうか。

クーデターの主な首謀者は、

安藤 輝三

野中 四郎

村中 孝次

磯辺 浅一

栗原 安秀

彼らはほぼ、30代前半の中堅将校です。

昭和天皇の声を聞くどころか、そのお考え(思想)に触れることは、ありませんでした。

自分の頭の中だけで、理想化した天皇と、都合よく意を通じようとしていました。

ある意味、仕方のないことかも知れません。

青年将校による、クーデターの精神的支柱になったのが、北一輝日本改造法案大綱です。

この書には、三つの特徴があります。

国民の天皇

国家社会主義

武力クーデター

です。

国民の天皇とは、天皇を頂点とするピラミッド型国家を目指すものでは、ではありません。

国民と天皇は一体であり、天皇を総代表とする民主主義国家を建設します。

国民と天皇の間を邪魔する、君側の奸(政治家 財閥 官僚)を排除します。

次に、国家社会主義とは、どんなものなのでしょうか。

私有財産は、二百万円までとします。

余剰分は、国家に納入します。

私企業の資本金も、一千万円に制限します。

個人の私有地も、制限します。

余剰分は、国家管理とします。

男子普通選挙を実現します。

婦人の権利、児童の権利を尊重します。

労働時間は、8時間とします。

私企業の利益の二分の一は、労働者に分配します。

15才未満の男女が、平等に教育を受ける権利を保証します。

国は、貧困に陥った者を、援助します。

こうしてみると、現代の日本で実現されたものが、幾つもあります。

北一輝の先見性には驚かされます。

最後に、北一輝は何故、武力によるクーデターを志向したのでしょうか?

元々北は、議会制民主主義による政権奪取を考えていました。

しかし、中国革命に与力した北は、理想と現実のギャップを見せつけられます。

北が心酔していた宗教仁が、選挙で勝利しましたが、政敵袁世凱に暗殺されたのです。

この事件から、北は武力によるクーデターのみが、国家改造をの道だと考えるようになります。

クーデターの手順はこうです。

国民の総代表である天皇が、天皇大権を発動し、3年間憲法を停止し、両院を解散します。

全国に戒厳令を布きます。

華族制度を廃止します。

天皇家の財産は、国家に納めます。

25歳以上の男子による普通選挙を実施します。

日本改造法案大綱は、陸軍軍人のバイブルとして読み継がれ、ニニ六事件へとなだれ込みます。

天皇と意が通じて、初めて可能となる計画でしたが、昭和天皇は埓外にいました。

純粋が故に、独りよがりに行動に走った青年将校

北一輝は、死刑になる前に、こんな句を残しています。

若殿に

 兜取られて

    負け戦