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オンライン家庭教師です。

ユーゴスラビア

皆さんは、ユーゴスラビアに行ったことがおありだろうか?

 

ほとんどの人は、

NO

でしょう。

 

何故なら、

ユーゴスラビアと言う国が、世界地図に存在しないからです。

 

30年前に、ユーゴスラビアと言う国が崩壊して、6つの独立国が誕生しました。

 

スロベニア

クロアチア

セルビア

ボスニアヘルツェゴビナ

マケドニア

アルバニア

 

これらの国は、サッカーのワールドカップにも、単独国として出場し、輝かしい成績を修めています。

 

2018年のクロアチアは、

ワールドカップで決勝まで勝ち上がり、

フランスに

4ー2

で破れます。

世界は、惜しみ無い称賛を贈りました。

 

セルビアには、

ストイコビッチ

がいます。

名古屋グランパスで選手、監督として活躍しました。

ピクシー

と呼ばれた魔法使いのような選手でした。

 

今は、セルビア代表監督を務め、ワールドカップ欧州予選で、ユーロ優勝のポルトガルを押さえ、一位でワールドカップ出場を決めました。

 

クロアチアの人口は、400万人。

セルビアは、700万人です。

 

この人口で、世界の強豪を相手に、互角以上戦いを挑む力の源泉は何か?

 

その歴史から、力の源泉を紐解いてみたいと思います。

 

1980年にチトー大統領が死亡します。

ユーゴスラビアは、一気に、崩壊の道をたどります。。

チトーの存在が、ユーゴスラビアを国としてつなぎ止める唯一の力でした。

 

チトーなき後の、ユーゴスラビアを支配していたのは、実は

セルビアでした。

 

ユーゴスラビア中央政府

セルビアの首都

ベオグラード

にあり、

セルビア主義に基づく政策が取られていたのです。

 

セルビアのやり方に不満を持つ他の共和国は、次々に反旗を翻します。

 

1991年に

スロベニア

クロアチア

が独立を宣言します。

 

スロベニアは、9割がスロベニア人です。

セルビアは、スロベニアの独立をすんなりと認めます。

 

しかし、クロアチアには

3割のセルビア人が住んでいました。

 

その上、

クロアチア人は、

ゲルマン民族で、

ローマカトリック教徒です。

 

セルビア人は

スラブ民族で、

正教徒なのです。

 

民族と宗教の争いは、抜き差しならない問題にっていきます。

 

セルビア大統領、ミロシェビッチは、当然のように、セルビア人の保護を名目に、クロアチアに侵攻します。

 

戦いは凄惨を極めます。

ジェノサイト

民族浄化

と言われる究極の殺戮が行われました。

 

そこで、ヨーロッパ各国が、調停に乗り出します。

 

ミロシェビッチは、クロアチアの独立を認める代わりに、各共和国に住むセルビア人を、セルビア編入する事を求めます。

 

この意を受けて、

ユーゴ平和会議で、キャリントン調停案が作られます。各国の独立を前提につくられた案です。

 

各共和国は、このキャリントン案を了承します。しかし、連邦を維持し、大セルビア主義を夢見るミロシェビッチは、調停案を拒否します。

 

孤立したミロシェビッチは、再びクロアチアに侵攻し、ブコバルを占領します。

 

この戦いで、

一万五千人の死者と

四十万人の難民が生まれました。

 

次に戦禍は、ボスニアヘルツェゴビナに飛び火します。

セルビア軍が、ボスニアヘルツェゴビナに侵攻します。

 

ボスニアヘルツェゴビナには、クロアチアとは、異なる問題がありました。

 

それは、宗教問題です。

ボスニアヘルツェゴビナには、4割のイスラム系住民が住んでいました。

 

3割がセルビア人。

 

2割がクロアチア人です。

 

今度は、イスラム系住民が標的になります。

 

セルビア人は、イスラム系住民と言うだけで、殺し尽くします。

 

ユーゴ紛争以前は、隣人として仲良く暮らしていた人達が、ジェノサイトと言われる殺戮に合うのです。

 

ヒトラーユダヤ人虐殺が思い出されます。

 

ユーゴスラビア内戦と、

クロアチアセルビアのワールドカップでの活躍を関連付けて、語るのは、違う気もします。

 

しかし、クロアチアセルビアには、死線をくぐった民族の強さがある気がするのです。

 

平和ボケした日本人には、及ぶべきもない精神力を感じます。

 

逆境の時こそ、一枚岩になる力。

 

来年のワールドカップでの、旧ユーゴスラビア勢の活躍から目が離せません。