象徴としての天皇
天皇は、日本国、また日本国民の統合の象徴である。
と日本国憲法、第一条に書かれている。第一条に書かれていると言うことは、第九条の戦争の放棄と共に、最も重要なな条項だと言っても過言ではない。日本国のあり方を明確に示している。
さて、
日本国民の統合の象徴
とは、如何なる意味であろうか?一億二千万日本国民が、その総意としてYESと言える。と、言うことではないだろうか。
えっ、何で?と、過半数の日本人が首を傾げるようでは、日本国民の総意とは言えないだろう。
では、YESが過半数をこえれば、国民の総意と言えるのだろうか?勿論、否である。50%ではあまりにも心許ない。
しかし、100%の日本国民の合意は得られまい。100%の合意形成をしようとすれば、ナチスドイツや北朝鮮のような国にならねばなるまい。恐怖が支配する国である。
私が考えるボーダーラインは70%と言うところだろうか。現代は、封建時代や戦前の軍国主義の時代と違って、将軍様や天皇陛下の一言で、(右向け右)とはならない。自由に考え、自由に発言できる時代である。その現代では、70%のYESはかなり高いハードルだと言えるだろう。
ボーダーラインを70%と設定した時、令和天皇は、ボーダーラインをクリアしているだろうか。私の主観だが、なんとか合格点と言えるだろう。なんと言っても、嘘の無い誠実なお人柄を感じさせてくれる。決して切れ者と言う感じは受けないけれど、昭和天皇の持っていた頼りなげな雰囲気が感じられて、身近に感じられる。
更に、ポイントが高いのが、雅子様の存在だろう。包み込むような空気感と、外交官として培われたインテリジェンス。貴方と同じ日本人で良かった。と感じる瞬間があったりすらするのだ。
私に身近な天皇は昭和天皇である。昭和天皇は、天皇として全く違う二つの時代を生きた天皇と言うことができる。
大日本帝国憲法下で、国家の元首として、更に大元帥として、生きた戦前。
究極の二重人格を強いられたと言っても、過言でない。
しかし、64年の最長の在位期間を通して、70%のボーダーラインを下回ることの無かった希有の天皇である。日本人の心の拠り所として、いつもそこにいたのである。
決然と、二二六事件の反乱将校に、反乱軍との断を下した時。
終戦の聖断を下した時。
人間宣言をした時。
東京オリンピックの開会式。
日本人はあの時、昭和天皇と共にあったのだ。
ここで、心をよぎる疑問が浮かんだ。それは、今お世継ぎ候補と噂される方々に、個人な思いとして、在位を望むかどうかの選択の余地があるのだろうか?
と言う疑問である。
秋篠宮さま。
悠仁さま。
愛子さま?
(皇位継承順位は無いけれど、圧倒的に国民の指示が高い。)
自分は、象徴としての国民の尊敬に耐えうる器か?(70%の日本国民の指示を得れるのか?)
将来、伴侶なる方の精神的ストレスをお守り出来るだろうか?
皇室典範には、そんな天皇個人の心の揺れを斟酌する余地など、1%もあるまい。全てが、継承を大前提に議論が進められている。その影で心の病を抱えた三人の女性の存在は、公然の秘密とされているようだ。
雅子さま。
眞子さま。
男子皇族の不足による、皇位継承者問題は、時代の大きな流れで、側室制度を保てなくなったことが原因だと言われている。
神国日本は、常に影で女性が泣く国なのだろうか?