大正デモクラシー①
大正時代について考えています。
昨日は大正天皇。
今日は大正デモクラシーです。
デモクラシーとは、民主主義のこと。
大正時代は格別にデモクラシー(民主主義)の花が開いたようです。
大正デモクラシーの理論的指導者は、吉野作造です。しかし、彼の主張は、民主主義とは少し違います。
民本主義です。
この違いをリンカーンのゲティスハーグ演説の有名な1フレーズを借りて、ご説明しましょう。
(①人民の、
②人民による、
③人民のための政治)
民主主義?
民本主義?
は①~③のどれに該当すかお分かりだろうか?
②民主主義は②です。
民主主義とは人民による政治のこと。つまり主権は人民にあります。
これが民主主義なのです。
しかし、これは大正時代の日本では簡単には受け入れられません。
皆さんも、もうお分かりでしょう。
大日本帝国憲法では、主権は天皇にあるのです。民主主義を簡単に受け入れると、天皇主権の国体を壊しかねません。国はこれを恐れるのです。
民本主義なのです。
民本主義とは、
③の人民のための政治を行います。
つまり、主権は天皇のままで、天皇から委任された機関が、人民のための政治を行います。
天皇主権の国体は、少しも犯していませんよ。というスタンスが大事なのです。
やはり、東大の吉野先生は、ちょっと違います。強面の軍部も一捻りです。
しかし、同じ東大の先生でも、美濃部 達吉先生は少し残念でした。
主権は国家にあり、天皇はあくまでその機関の一部にすぎない。と主張したのです。
有名な天皇機関説です。昭和天皇もこの考えにご同意なさっていました。しかし、時代の空気は、強権でこれを押し潰してしまいます。圧力に屈した美濃部は、東京大学教授の職を去らねばならなくなります。戦前の思想弾圧の顕著な例ですね。
吉野作造の具体的な主張に迫ってみよう。
①普通選挙の実施
②政党による、議会政治 の実施。
まさに、大正デモクラシーの顔となった政策です。様々な紆余曲折を経て、大正時代にこの二つの主張は日の目を見ます。