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オンライン家庭教師です。

二刀流

二刀流と言えば

そう。

この人しか、いないでしょう。

大谷 翔平

メジャーリーガーになるだけでも、至難の技なのに、MVPまで取ってしまいました。それも満票です。

ピッチャーとバッターの二刀流。

夏場のメジャーリーグの話題を独り占めしました。

日本人じゃなくても、大谷のMVPは、納得でしょう。

ピッチャーとして 9勝

奪三振     156個

ホームラン    46本

打点      100点

盗塁       26個

人間性もまた、脚光を浴びています。変に物怖じせず、礼儀正しい。更に、人懐っこい笑顔がなんとも言えません。

しかし、彼の成功の原動力は、その頑固な性格でしょう。

人の意見はあくまで、人の意見です。

(俺は、二刀流。)

日本でも、アメリカでも譲りませんでした。

大谷選手は言いたいのではないでしょうか?

(張本さん。スミマセン。MVP取ってしまいました。)

張本さん

あっぱれ!でしょうか?

喝!でしょうか?

 

映画会での二刀流の最右翼は 

クリント イーストウッドです。

俳優として、監督として

ハリウッドを席巻しました。

29歳で、ローハイドに主演し、現在91歳です。

一昨年89歳で

リチャード ジュエル

を撮りました。

次回作が待たれます。

世界的に評判となった映画だけでも、十指に余ります。 

俳優として

ローハイド

荒野の用心棒

夕日のガンマン

ダーディー ハリー 

監督として(含主演)

マディソングンの橋

グラントリノ

許されざる者

硫黄島からの手紙

ミリオンダラー ベビー

ハドソン川の奇跡

若い頃の主演作は、ほとんど、西部劇の伝説と言っても良いでしょう。

二度のアカデミー賞を含む監督作品は、映画史に燦然と輝く名作ばかりです。

主演俳優は、自分の容姿、個性、表現力が武器です。我儘ぐらいで、ちょうど良いのかも知れません。

しかし、監督は、俯瞰の絵を描く才能が必要です。作品の全体と細部を同時に理解しなければなりません。

そして最後にもう一つ、肝心なのは人間力です。

(あの監督と組んでや映画を撮りたい。)

と俳優やスタッフに思わせる魅力。

その魅力を支えるのが、

若い頃から彼が取り組んだ

(ヘルスコンシャス)

てす。

レーニン

食事のコントロール

体のケア

精神的な若さにも通じるのでしょう。

浮き沈みの激しい映画会で、60年を越えて、常にトップに君臨するクリント イーストウッド

若き日の、彼の映画を見ることにしましょう。

最後に、二刀流の偉人をもう一人紹介しよう。

夏目漱石と並ぶと文豪と言ったら、

お分かりでしょうか?

そうです。

森鴎外です。

森鴎外って、小説家でしょう。

勿論、小説家です。でも

お医者さん(軍医)でもあるんです。

小説家と軍医(陸軍)の二足のわらじをはいた人です。

お医者さんで小説家は以外に多い。鴎外の他に

北  杜夫

渡辺 淳一

山田 風太

加賀 乙彦

多士済々です。

しかし、鴎外が頭一つ抜けているようです。

鴎外の人生を振り返ってみよう

19歳で東京大学医学部を卒業し、22歳でドイツに国費留学します。まさに、早熟の天才です。 

しかし、ここからが波瀾万丈です。ドイツでの恋人、エリスを棄てて、単身帰国してしまいます。裏切られたエリは、精神を病み、鴎外を追って来日します。

驚いた鴎外の親族が、八方手を尽くして、エリスをドイツへと追い返してしまうのです。

鴎外は森家にとって、かけがえの無い存在たったのです。

めでたし、めでたし。

とは行きませんでした。

鴎外が驚愕の行動に出るのです。

なんと、ドイツでのエリスとの恋の一部始終を小説として発表してしまいます。

これが

舞姫

です。

文語体の文章で、今の私たちには戸惑うところはありますが、そのリズミカルな文章は秀逸です。

YouTubeで、高橋昌也(俳優)による朗読を聞くと、一言一言が体に染み込むように伝わってきます。

このリズミカルな文章は、幼い時に論語を学び、四書五経素読することで身に付いたものです。

知識の量を競うだけの、今の教育では、決して得られない資質です。

鴎外の行動は、陸軍内部に波紋を呼びます。

体面を気にして、ほとぼりが覚めるまでということで、3年間小倉に左遷さになります。

鴎外も舞姫を出版すれば、ただでは済まない事は分かっていました。それでも、小説家としてのたぎる思いが書かせてしまったのでしょう。

エリスへの鎮魂の思いがあったのかも知れません。

公僕である軍医として、世の中の批判にさらされる覚悟の上で、書かずにいられなかったのが、

舞姫

なのです。

もう一度、

鴎外が岐路に立たされた時がありました。

明治43年

大逆事件で、幸徳秋水ら12人がタイギャク罪で処刑されました。天皇の暗殺を図ったと言うのです。

しかし、これは、陸軍のトップ山県有朋が、過激な思想を取り締まるたにでっち上げたストーリーです。

  

鴎外は、その山県の引き立てで、陸軍の軍医総監まで出世しました。

国による思想弾圧に憤る鴎外。

しかし、陸軍の幹部として恩師、山県の意向に逆らえません。

深い苦悩に苛まれます。

なぜ鴎外は、陸軍を辞めなかったのでしょう?

漱石のように、筆1本で生活する事も、出来たでしょう。

鴎外の心には

貧しさの中で、自分を育ててくれた母への絶対的な臣従があったのです。

(母を悲しませることは出来ない。)

この一念が、

鴎外を陸軍につなぎ止めました。

それが証拠に

母が亡くなった翌年に、鴎外は陸軍を去るのです。

鴎外は、自分の墓に

森 林太郎

と刻ませました。

陸軍軍医でなく、

小説家でなく、

裸の石見人、

森林太郎として、死にたかったのです。