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オンライン家庭教師です。

鎌倉にて

手を見ると、年齢を感じることができます。

見上げると、目の回りの小じわで納得します。

水気がありません。

潤いと言い換えても良いかもしれません。

気がつくと、声のトーンも明らかに低いのです。

会話の内容まで詮索するつもりはありませんが、姑の悪口には興ざめしてしまいます。

ファッションセンスの良し悪しも、時と場合によるようです。

一瞬目を引くいでたちは、慣れると徐々に場違いに感じられてきます。

ここまで気を使って、完璧に仕上げるには、計り知れないエネルギーを費やすことでしょう。

女性が女性であるための徒労でしょうか。

徒労と言っては申し訳ありません。トライ、工夫、執念と言っておきましょう。

映画の中に、人生を見つけようとするのも、徒労でしょうか。

銀幕のスターに自分を重ね合わせても、夢から覚めるのに数時間とかかりません。

そのストーリーに我が人生を重ねてみても、的はずれの答えしか出てこないのてす。

主人公にわしづかみされた心をもて余しても、なかなか行動に踏み切れないのが現実なのです。

映画は、夢の世界の出来事でしかあり得ません。

鶴岡八幡宮に孫の成長を願って、絵馬を奉納しました。

孫の名前をと思いましたが、まだ名前がありません。

勝手に実朝としました。

本物の名前がつく数日間の仮の名前です。

理由はありません。

好きか嫌いかと言われるた、どちらかと言えば好きな名前だからです。

武人か、文人かと言うと

文人の色が強く、優男風なのが気に入っているのです。

役者さんで言うと、

篠田三郎

長塚京三

みたいな大人になってほしいと思ったのです。

名前はその子の一生を、決めるような気がします。

日曜日には御対面できるようですが、どんな名前か、メチャメチャ楽しみです。

鎌倉駅前のスタバで、鎌倉文学館を検索した。

久しぶりに川端や小津の空気に触れたかったのです。

何気なく、特別展をクリックすると、

(絵本作家 長野ヒデ子の世界)が表れました。

しばらく、不思議な余韻に浸っていましたが、意を決して文学館に向かうことにしました。

私の亡き妻(長野秀子)は小物作りや、絵を描くことが好きでした。

突然に鎌倉での再会は、望外の幸せです。

秀子さんとビデ子さん。

でも、彼女はデコちゃんと呼ばれていたから、存外同一人物かもしれませんね。

趣味が仕事になる人は稀ですが、秀子さんの周りにはいつも人の和がありました。

私は上手く会話には入れず、タイミングを計りかねていました。

(ご主人が何が言いたそうよ。)

と言ってからかわれるのが落ちでした。

文学館では、小林秀雄大佛次郎が若宮道りを歩く、等身大パネルを見つけました。

昭和二十五年の鎌倉です。

二人は五十代前半のはずです。

車中で、魂をスマホに預けて、別人格で存在している令和の若者。

自分の思考と存在がその外見に感じられる、近寄りがたい存在感の戦後のおじさんふたり。

そんな感じがしました。

そういえば、令和のお爺ちゃんも、こうしてスマホに愚痴や御託を並べています。

本当に困ったものです。