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オンライン家庭教師です。

本所にて(11月3日)

今日は、墨田区本所に来てみました。東京の新規感染者が一桁になり、少し、心が軽くなったのかも、知れません。

芥川龍之介が子供時代を過ごした本所が見てみたくなったのです。総武線の両国で電車を降りると、墨田川が流れ、すぐ近くには回向院がありました。

ここ本所は、龍之介生誕の地ではありません。まだ0歳の時、母が精神疾患を発症し、本所にある母の実家、芥川家に引き取られる事になりました。龍之介を手塩にかけて育てたのは、母の姉のフキです。フキは独身を通し、全身全霊で龍之介の教育に当たります。

後年、龍之介は

(今の私があるのは、この伯母のお陰だ。)

と言っている位です。

しかし、実の母が精神に異常をきたしたままで生涯を終えたことは、龍之介の大きな心の負担になりました。自分には、母と同じ血が流れていると言う思いは、強い恐れとなって生涯彼を苦しめたのです。

更に、芥川夫妻にとって、フキの存在はかけがえがないと同時に、決して、逆らうことの出来ない、絶対的な力でした。新婚生活すら、強い監視下に置かれたようなものです。解放されることのない、龍之介の神経は少しずつ病んでいきました。

学生時代の生活も、龍之介には耐えがたいものでした。規則一辺倒で生徒を縛ろうとする教師達。龍之介には、敵にしか見えません。文学を志し、自由な思想を語ろうものは、左翼運動家と決めつけられかねない。そんな重苦しい時代の空気の中で、龍之介の心は文学へと誘われていくのです。

今日は、本所に来て、大きな収穫がありました。回向院の境内で、龍之介が近所の悪童どもと、登ったという大銀杏の木がを見つけたのです。実に、境内に、威風堂々と立っていました。芥川龍之介が登った銀杏の木だと思うと、少し、嬉しくなりました。

龍之介が通った両国小学校の角には、龍之介の文学碑がありました。杜子春の一文が刻まれていました。

苦労したのが龍之介成育の地の探索です。生誕の地くではなく、あくまで、育った家と言うことです。

一時間近く迷ったあげく、やっと見つけました。大通りに面した貸ビルの前に看板が出ていました。芥川家の写真もあり、当時を偲ぶことが出来ました。

余談ですが、両国小学校の隣の両国公園に、勝麟太郎の生誕の地の碑がありました。

政治と文学

全く違うフィールドで歴史を動かした二人が、こんな近くにいたとは、不思議な気がします。

大正時代を象徴する文学者を一人挙げるとしたら、芥川龍之介ではないでしょうか。当に、時代が生んだ申し子なのです。

大正時代の世相を代表する出来事は、こんなものでしょうか?

大正デモクラシー

第一次世界大戦

シベリア出兵

原敬暗殺

米騒動

関東大震災

普通選挙実施

治安維持法の発布

虎ノ門事件

このように目を覆いたくなるような世相を、代表的な人物として、わたしには、芥川龍之介がピタリとシンクロしてしまいます。

著名な文学者の宿命、と言ってしまえばそれまでですが、命を削って、自分の内面を見つめ、結果として精神を病んでしまう。

そんな芥川龍之介の人生に思いを致す一日になりました。