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オンライン家庭教師です。

芥川と太宰

風貌がにている。長髪で細面。憂いを感じさせる顔だち。神経質そうだが、こう言うインテリに女性は弱い。

もう一つの共通点は、三十代で自死したことだ。芥川は35歳、太宰は39歳。やっと人生の折り返し点か?

その死因は、

芥川は、大量の睡眠薬

太宰は、心中である。

太宰は芥川に憧れ、真似たポーズも残っている。

芥川から死の原因を探ってみよう。芥川の一生を貫いた不幸は、芥川が一歳の時に、実母が精神分裂病を発症したことであろう。芥川は母の発狂により、新原家を離れ、母の実家の芥川家で育てられる事になる。芥川少年の心の負担はいかばかりだったろう。母への思慕と同時に、母と同じ血が流れている事への不安が消えなかったのではなかろうか?自分もいずれ発狂するかもしれないという不安。芥川はこう書いている。(僕の母は狂人だった。僕は一度も僕の母に母らしい親しみを感じた事がない。母は顔も小さければ、体も小さい。)

成長した芥川は東大の学生の時、友人にこんな手紙を書いている。

(私の生活は自分のオリジナリティーがない。終始、他人の思想と感情とからつくられた生活のような気がする。)

実の父母の手を離れ、母の実家で育った寂しさや孤独感。心から甘えることを許されない生活。オリジナリティーの無い空虚な自分が、形作られたのかも知れない。

処女作、鼻が夏目漱石によって激賞され、文壇デビューを飾った絶頂期の頃。こんな手紙を友人に書いている。。

(何故、こんなにして迄も、生存を続ける必要があるのだろうか?神に対する復讐は、自己の存在を失うことだと思うことがある。)

自分の存在を呪う言葉。

芥川は何故、神への復讐を試みなければならなかったのだろうか?

文壇の第一人者としての地位を確立した、大正10年頃。芥川は様々な病に悩まされる。特に不眠症は深刻で、睡眠薬は手放せなかった。その頃の友人への手紙が残っている。

(ホカミ、下剤、ヴェロナール、私は薬を食って生きているようだ。薬を用いて死ぬことは、縊死よりも苦しかろう。しかし、縊死よりも美的嫌悪を与えないのだ。)

完全に芥川の心は死によって支配されている。死んだ後の自分の姿を想像し、縊死は醜いと嫌悪感を示している。 

芸術家とはこんなものだろうか?

太宰の一生は、度々映画化され、その都度、大きな話題になっている。理由はただ一つ。その生き方があまりにスキャンダラスだからだろう。

常人ではなかなか経験することの出来ない太宰の凶状を列挙してみよう。

十代で、芸者と同棲。

共産党の活動で投獄。

自殺幇助罪で投獄。

複数回の自殺未遂。

精神病院への入院。

返しきれない借金。

妻以外に二人の愛人。

結核による吐血。

躁うつ病

心中により人生を完結。

たった39年で、一人の男がこれだけの事をやらかして、心中で人生の幕を引いた。見事と言いたくもなるのだ。更に、心中相手の山崎冨栄は、晩年の太宰を命懸けで支えた。太宰と一緒に死ねる事に至上の喜びを感じ、奥様には申し訳ないけれと、私は幸せです。と言う遺書を残している。

人間は、その時々の自分の思いに正直に生きると、社会とは反目し、太宰のような人生になるのだろうか?