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オンライン家庭教師です。

漱石

漱石が生涯を通して闘い続けたのは、

(自我)

の存在でした。

自我とは、私が私であることです。

神様が絶対であれば、

私が私である事は出来ません。

神を信じていれば、自我に悩むことはないのです。

自分の上に、神様が大きな顔をして鎮座しているので、自我が生まれる余地はありません。

昔の人は、神の教えに素直に従えば、平穏で心豊かに一生を終える事ができました。

しかし、明治維新によって、人々は気づいてしまいました。

私達には、

(心の自由)

がある。

学問をすることも、

職業を選ぶことも、 

結婚相手を選ぶことも、

自分の心次第なのです。

しかし、それは今までは、

神が決めてくれていたこと。

国が決めてくれていたこと。

親が決めてくれていたこと。

を自分で決めなくてはならなくなりました。

つまり、自我が生まれ、自己責任が必要になりました。

自由と責任が裏表だと、気づきました。

漱石は、そんな時代に生まれました。

漱石は、ロンドンに2年間の留学を果たします。

過酷な2年間でした。

異国の地で、頼る者は一人もなく、貧しさに耐えながら勉学に打ち込みます。

選ばれし者の孤独。

エリートは、エリートとしての成果を出さなければ、なりません。

そのプレッシャーは、漱石の精神を痛め付けます。

帰国直前、

漱石発狂す。

の電報が、日本の文部省に届きます。

今で言う鬱病です。

それからの漱石は、定期的この病に悩まされます。

感情をコントロールできず、家族に激しい言葉を浴びせます。

被害者は、妻や子供達でした。

そんな苦悩する漱石に、新たな病が襲います。

胃潰瘍による大量の吐血をするのです。

2日ほど意識不明で、生死をさ迷います。

世に言う修善寺の大患です。

安静が必要な療養生活は、一年半に及びます。

その療養中も、朝日新聞から高額の月給と、夏冬のボーナスが支払われていました。

これは、漱石にとって辛いことでした。

働かずして収入を得ている自分に、腹が立ったことでしょう。

生真面目な漱石は、自分が許せなかったはずです。

執筆を再開したときの漱石の決意は、並々ならぬものでした。

所謂、命がけです。

そんな決意、晩年の随筆

硝子戸の中

でこう書いています。

(人は、いつ破裂するか分からない爆裂弾を抱えて、死へと一歩一歩進んでいる。)

これは、まさに漱石の決意表明です。

自分の病気はいつ爆発するか分からない。

死が訪れるまで、一筆一筆書き続けねばならない。

それが、私の残された余生だ。

そんな思いが、結実したのが、後期三部作です。

彼岸過ぎまで

行人

こころ

(彼岸過ぎまで)の中に、(雨の降る日)

と言う章があります。

その中で、重要な登場人物松本の2歳の娘が、急に亡くなることが書かれています。

この頃、漱石の5女雛子が亡くなっているのです。

その悲しみを乗り越えて、淡々と筆は進みます。

主人公の須永市蔵は、婚約者の千代子を信じきれず、苦しみます。

自分に嫌気がさしながらも、自我を捨て去れない須永に共感してしまうのは、何故なのでしょう。

(行人)の長野一郎は、漱石の分身です。

大学教授で、精神を病んでいます。

妻のお直と弟の二郎の仲を疑いながら、弟にお直と一夜を共にするように頼むのです。

完全に、壊れてしまった人間です。

これは、漱石の心も体も限界まで、壊れている表れです。

友人Hの手紙に出てくる一郎は、死に向かって一歩一歩歩んでいる自分を見つめています。

まさに、一郎と漱石がクロスオーバーしているのです。

(こころ)の先生は、友人Kを死に追いやった苦しみから抜け出せず、自死します。

明治のインテリのあわれな末路です。

それに比べて、漱石は立派です。

前のめりにずんずん進みます。

書き尽くして。

闘い続けて。

弟子達に囲まれて。

明暗を執筆中に、大量の吐血をして亡くなりました。

サムライの心を持った

明治の人。

漱石とは、そんな表現が相応しい男です。