ユダヤの律法と老子の道(たお)
律法は、モーゼがシナイ山で神から授けられた教えである。イスラエルの民は、これを固く守って生きてきた。ユダヤ人がユダヤ教徒たる由縁と言える。ユダヤ人は、数千年に渡って硬く律法を守り、ユダヤ教徒として生きてきた。なぜか、その事がユダヤ人が世界中で迫害を受ける原因となった。
律法を守る自分達だけが神の祝福を受けると信じるユダヤ教徒。律法を守ろうとするゆえに、他民族と親しく交わろうとしない。こうして、世界中でユダヤ人の迫害が行われる。国を追われたユダヤ人は世界に点在して生きる。
更に、ユダヤ人のマイナスポイントはその能力が高過ぎることのようだ。残念ながら、人間は優秀な人には嫉妬し、反感を持つ。律法に従い、自分を絶対に曲げないユダヤ人が優秀過ぎるとしたら、まわりの民族はなす術がないでは無いか。敵わない相手は、排除しようとする。
その代表がヒトラーなのだ。ヒトラーは我が闘争の中で、ドイツ民族の優秀さと純潔を守るため、ユダヤ民族を絶滅せねばならない。と書いている。逆に言えばユダヤ人の優秀さを恐れたのだ。こうして、アウシュビッツでの虐殺が行われた。女性も子供も老人も、無差別に。ガスは重いので下から溜まります。赤ちゃんを助けようと、両手で赤ちゃんを捧げ持つ母親の姿は、痛ましい。
世界史に名を残すユダヤ人を挙げてみよう
モーゼ
イエス キリスト
アンネフランク
ジョージソロス
ラリーページ
思い付くだけでも、数限りがない。数千年間、国というバックボーンを持たずに、その地位を築いてきたユダヤ人の優秀さに驚かされます。しかし、その優秀さが民族
の迫害の原因となる。なんと皮肉なことだろう。
ユダヤ人の律法を頑なに守る生き方の対局にあるのが、老子が教える道に添った生き方。
道に従い、何物にも縛られずに生きる。無為自然のままに生きる。
老子の言葉に、
上善如水
という言葉があります。
最上の善は、水だという。
水に沈んだり、浮いたりした時の感覚は地上では味わえません。格別なものがあります。空気の軽さとは違い、全身が大きなものに包まれた安心感を感じることが出来るのは水の中だけです。
人は水がなければ生きていけませんね。
いやいや、
人ばかりではありません。全ての動物植物は、水なしでは、生存が覚束きません。しかし、普段は水のありがたみを忘れています。
老子はそんな生き方をしなさいと教えています。誰からも忘れられるように生きなさい。人と争わず、今の自分に感謝して、ありのままに生きなさい。
そう教えているのです。いるかいないか、分からないように生きる。無為自然に生きる。
水は、低き所に向かって流れます。決して逆流したりしません。
それが生きる極意のようです。
低きに留まってゆったり世の中を観察する。
違う世界が見えてきませんか?
争うことなど、無意味だと思いませんか?
死にたいと思うほど悩んだことが、馬鹿馬鹿しく感じたりしてきたりしませんか?
これでいいのだ!