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オンライン家庭教師です。

荘子と老子

勝ち組の思想が儒教なら、負け組に優しい思想が老荘思想だろうか?儒教の教えに従っていれば、国の秩序は保たれ、繁栄が約束される。仁、徳、礼の心が正しい世の中をつくると言うのだ。

しかし、世の中の制度やシステムに馴染めない人々。生まれながらに貧しく、がんじがらめの身分制度に苦しめられた人々の耳には、全く届かない教えである。

そうなると、マルクスレーニンの様な人が出てきて、革命を起こし、平等な社会を目指すのが時の流れかも知れないが、この時代の中国では別の教えが生まれた。それが、老荘子思想である。

道に従って生きる。社会の煩わしいしがらみに囚われず、自分の定めた大きな道に従って生きてこそ、心は解放され、本当の自由に生きることが出来ると言うのだ。

大道廃れて、仁義なし。

老子の言葉だが、大きな道が廃れてしまったから、仁も義も無くなってしまった。そこで、仕方がなく、儒家の者達は、仁を説き、義を説き

徳を説かねばならないのだ。儒教の教えは、老子が教える道を大事にしなかったから、しっぺ返しを受けていると言うのだ。即ち、孔子に対するアンチテーゼである。

荘子の教えに、

逍遥遊と言う教えがある。散歩の薦めである。

散歩の時、人は目的など持たない。よい天気に誘われて、足の向くまま、気の向くまま、雄大な自然に包まれて歩く。

散歩の様に、争いの種となる物欲や名誉欲などが微塵も無い心の状態が、荘子の言う道(タオ)に導かれた生き方なのである。

勿論、二者択一の問題ではない。一人の人間の中でも、孔子の教えに傾いたり、変に老子が気になって仕方がなかったり、揺れ動くのが人間なのかも知れない。