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ルターと親鸞

親鸞は、20年に及ぶ比叡山の苦しい修業でも、悟りを開くには至らなかった。お山での修行を諦めた親鸞は、京の都をさ迷い、法然の教えに出会う。ただただ一心に座禅し、(南無阿弥陀仏)を唱え、他力の力にすがることで、人は救われると悟る。自らを非僧非俗(僧侶でも俗人でも無い)と称した親鸞は、日本で最初に妻帯した僧侶となる。妻の恵信尼は越後、関東へと親鸞の流刑に従い、親鸞を献身的に支えた。人間としての煩悩を捨てきれなかった親鸞は、妻を娶ることで、苦悩を抱えた一個の人間として生きる決意を固めたのである。

妻帯した僧である点はルターも親鸞と同じである。似ているのはそればかりではない。ルターは修道院で長い禁欲生活をし、神の救いを求めて数々の善行を積んだ。しかし、不安は消えず、心の平安は得られなかった。

巡礼に出たルターは、ローマで腐敗したローマ教皇の姿や、金のために免罪符を売るローマ教会に絶望する。善行を積んでも、免罪符買っても決して神の恵みは訪れないと民衆に説くようになり、ローマ教会批判を強めていく。更に、信仰を深めたルターは、直接神に向かい、一心に神に祈る事のみが唯一の道だと説くようになる。祈りは神に届き、神の恵みが心の平安をもたらす救いとなる。

一心に祈ることにより、心の救いを求める親鸞の教えを他力と言い、ルターの教えを神の恵みと言う。