所得倍増計画
(十年で皆さんの所得を倍にします。)
そんなことを言った、総理大臣がいました。
池田 勇人
と、言います。
そして、その公約を約7年で成し遂げました。
その時、 彼はすでにこの世の人ではありませんでした。癌に侵され数年前に亡くなりました。
日本中の経済学者や、官僚が
(戦後は終わった。そんな夢のような経済成長は、戦後すぐならともかく、安定成長期に入った日本ではあり得ない。)
と、取り合いませんでした。
しかし、池田は、
(私の政治生命。
いや、この命をかけて達成します。)
と、断言しました。
そして、三年も早く成し遂げました。
池田のこの自信は、ある人物の経済理論からきていました。
大蔵省の官僚
下村 治です。
下村は、肺結核で三年間の休職を余儀なくされ、
大蔵省の出世レースからは、排除されていました。
実は、池田勇人も、奇病で休職すると言う、同じ経験をしています。
(負け組タッグ)
と、言っても良いかも知れません。
では、その下村理論を見てみましょう。
一つ目は、下村は、日本人の潜在能力(工業技術力)の高さに、絶対的な自信を持っていました。
アメリカとの戦争には負けたとはいえ、世界一の戦闘機、零戦を作り出した日本人の技術力。日本は物量では負けたけれど、技術力ではアメリカにまけていない。
そんな、信念がありました。
日本は、あの焼け跡から
たった10年で、
(もはや、戦後ではない。)
と、言われるまでの経済復興を遂げました。
この日本人の勤勉さを、下村は、信じていました。
奇跡を起こすのは人の力です。
二つ目のキーワードは、
設備投資
です。
鉄鋼メーカーを例に考えてみましょう。
ある鉄鋼メーカーが、大規模な設備投資をして鉄鋼を増産します。
生産された安価な鉄を使って、自動車や電気製品が大量に生産されます。
今の日本には、大量生産で安くなった自動車や電気製品を買うだけの経済力があると、下村は信じました。
しかし、それは思い込みではありません。地道な市場調査を積み上げた、綿密なデータから割り出した結論です。
同じように、他の産業でも、有効な設備投資をします。それによって、大量生産のシステムを構築し、安価な製品を生産されます。経済は好循環をきたし、経済成長が達成されます。
下村治は、
年率7%~10%
の経済成長を見込みました。
それが、理論通りに達成したのです。
まさに、高度経済の奇跡です。
下村の経済理論を信じた総理大臣の池田 勇人
合わせて、1000億円の減税です。
これによって、
企業は、設備投資に資金を回すことができます。
庶民は、購買意欲に火が付きます。
高値の花だと思っていた
新3C
カラーテレビ
クーラー
カー(CAR)
が飛ぶように売れます。
この経済の好循環が、給料UPを後押しします。
金利が下げれば、
企業はお金を借りやすくなります。
低金利で借りたお金で、新しい設備を充実します。
最後のキーワードは、
人口ボーナスです。
人口ボーナスとは、
高度経済成長が始まった、1960年代の日本の
人口構成
が、成長を支えるのに好都合だったのです。
つまり、生産年齢人口の割合が上昇し、日本は活力がみなぎる時代でした。
15歳~65歳の働き盛りの人口構成割合が、とても多いのです。
子供や老人が少ない社会です。
そんなタイミングは、めったにありません。
急激な経済成長を遂げるのに理想的な時代でした。
現在の、三人の現役世代が、一人の老人を支えるような人口構成では、こんな奇跡は生まれませんでした。
池田と下村は、戦後日本の恩人です。
この二人がいなければ、今の豊かな日本はありません。
その後の日本は、
バブル
失われた20年
と、漂流を続けます。
時代を見通す
司令塔がいない。
そんな 嘆きが聞こえてきます。