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オンライン家庭教師です。

湾岸戦争とイラク戦争

この二つの戦争には、

共通点があります。

イラク

 フセイン大統領と

アメリカの

 ブッシュ大統領です。

フセイン大統領は、両方の戦争の当事者ですが、

ブッシュ大統領は、親子で、それぞれの戦争の当事者になります。

湾岸戦争が、

  パパ ブッシュ

イラク戦争

ブッシュ、ジュニアです。

そして、この二つの戦争の間に、

911 

アメリ同時多発テロ

が起こっています。

フセイン大統領が、

911 アメリ同時多発テロを起こした訳では、ありません。

911 アメリ同時多発テロを起こしたのは、ビンラディンです。

ではなぜ、

ブッシュジュニアは、

イラク戦争を起こしたのでしょうか?

そこには、チェイニーやラムズフェルド達、ネオコンの思惑がありました。

では、まず湾岸戦争から順番に見ていきましょう。

1990年、8月

イラクフセイン大統領は、石油利権をねらってクウェートに侵攻し、占領します。

これを見た、国連が素早く反応します。

国連安保理

イラククウェートからの即時撤退と

国連軍の、

 武力行使容認決議案

を可決します。

全会一致です。

これは、国連では珍しいことです。ソ連や中国も賛成しました。

この決議を受けて、

アメリカの

パパ ブッシュは

多国籍軍

を編成します。

アメリカの指揮のもと、国連加盟国が多国籍軍をつくり、クウェートに進軍します。

砂漠の嵐作戦です。

そこで、日本も対応を迫られます。

アメリカは日本の自衛隊に、後方支援を強く求めました。

日本の国論は、大きく二つに別れます。

賛成派は、国際貢献のため、自衛隊の派遣やむなし。

中東の石油に頼る日本は、中東の安全に貢献すべき。後方支援は日本の役割。

一方、反対派は、

憲法9条がある限り、自衛隊の派遣は、憲法違反。

後方支援は、日本を戦争に巻き込む恐れがあり、絶対に拒否すべき。

時の内閣総理大臣

海部 俊樹は、

(国連平和協力法)

を国会に提出します。

しかし、野党や市民団体の強い反発に合い、廃案に追い込まれます。

やむなく、日本は一兆円を越えるお金を出しますが、クウェートからの感謝状には、日本の名前は

ありませんでした。

平和とは、血(命)

   であがなうもの。

これが、

  世界の認識です。

湾岸戦争で、後手を踏んだ日本政府は、

宮沢内閣が

PkO法案

(Peace

keeping organisation)

(国連平和維持活動

    に関する法律)

を成立させます。

この法律によって、

カンボジアや、モザンビークに派遣された自衛隊は、その職責を果たします。

日本の国際貢献は、世界から、評価されることになります。

21世紀に入り、

世界の潮流を一変させる出来事が起こります。

2001年

アメリ同時多発テロ

です。

イスラム過激派

のテロ組織

アルカイダ

オサマビンラディンが、ニューヨークの

ワールド

 トレードセンターや

ペンタゴン

自爆テロを仕掛けます。

アメリカのブッシュジュニアは、

対テロ戦争

宣言し、アフガニスタンに戦争を仕掛けます。

この時も多国籍軍が編成され、アメリカは各国から支持されます。

しかし、今度はブッシュジュニアが、とんでもないことを言い出します。

イラク大量破壊兵器がある。イラク悪の枢軸だから、みんなでイラクを攻撃しよう。)

湾岸戦争の時と同じく、多国籍軍を編成し、イラクを攻撃しようとします。

しかし、今回はフランスとドイツが、真正面から反対します。

大量破壊兵器は、見つかっていない。攻める正当な理由がない。)

まさに、高度フランスとドイツの正当な言い分です。

引くに引けないブッシュジュニアは、有志連合を組織し、イラクを攻撃します。

結果は有志連合の一方的な勝利です。しかし、肝心の大量破壊兵器など、見つかりません。

国際社会は、アメリカの身勝手な行動に、にそっぽを向き始めます。

アメリカは、イラクに民主主義を一方的に押し付けようとします。

各地で反発が起こり、イラクの治安は乱れに乱れます。

アメリカに対するテロが続発します。

時の、日本の総理大臣は

小泉 純一郎です。

ブッシュ大統領と親密な関係にあった、小泉総理大臣は、真っ先にアメリカ指示を表明します。

そこで、

テロ特別措置法

を成立させます。

日本の自衛隊

イラク非戦闘地域で、

戦後の復興支援にあたると言うものです。

二年半に及ぶ、サマワ等での復興支援活動は、

大きな成果をあげます。日本の国際的な評価も高まります。

命の危険を感じながら、重責を果たした自衛隊の隊員達。

世界からの称賛が与えられました。

日本が、グローバルな世界で生きていきには、

世界基準の国際貢献が必要な事を身をもって示してくれました。

(日本は憲法で、戦争行為が禁じられているので、何もできません。

でも、利益だけは、各国と同じように頂きす。)

と言う態度は、国際社会では、通用しません。

(血は流さないまでも、

汗をかいて、なんぼ。)

世界は、日本の行動をじっと見ています。

世界の中の日本

(何ができるか?)

問い続けることが

求められています。